私たちの役割は「教育者」
Nahokoです。
先日、大学時代の同級生と飲む機会がありました。
私は教育学部の心理学科卒でして、その日集まった同級生はみんな現在心理の専門職に従事しています。
お仕事の話を聞いたりしているうちに、本当にそうだよね!私の仕事もまさに毎日同じことを考えてるよ!という共感・納得・感動がたくさんありました。
あれ?自分の仕事も心理職みたいなものだったのかという発見に驚いたとともに、ピラティス指導の仕事に関して私が抱いている信念というものの知識的な土台は大学時代にしっかり築かれており、「教育」と「心理学」に他ならなかったのだと改めて気づかされた次第です。
自分の肩書は「教師」、役割は「教育者」
WEBのプロフィールでも言及しておりますが、私は身内に学校教師や習い事の先生など教える職業の人が多い家庭に育ったので、幼い頃から「先生・教師」の役割とは何なのかを考えておりまして、それが教育学部心理学科に進んだ理由です。
(余談ですが、ピラティスインストラクターさんの中には「〇〇先生と呼ばれたくない、名前で〇〇さんと呼ばれたい」という方もいるかと思いますが、私自身はこの仕事を始めたときから自分は「教師」だと認識しており学校の先生と同じようなものだと思っているので、「先生」と呼ばれることには全く抵抗がありません。
「先生」と呼んでもらえるに値する人間であらねばと思いますし、そのために自分が学び続け、考えを深め続けなければならない責任も日々感じています。)
教師の役割とは「教育を与える人」であるわけですが、単に特定の教科について知識や技術を教え与えるだけにとどまらず、そこに「育てる」という意味合いが入ります。
生徒の成長や発達を促し、考え方や価値観の醸成に導き、独り立ちできるよう育てていく。
それが教師であり、言い換えれば「教育者」であると思います。
私が教えている専門の教科はピラティスではありますが、ピラティスについての知識であるとかエクササイズの種類・やり方を教えているわけではありません。
では何を目指して何を教えているのかというと、簡単にまとめるならばこういうことです。
● ピラティスをはじめとしたトレーニングを行うことを通じて、ひとりひとりが自分の身体や心の健康に対する理解や認識を向上させる
● 心身の健康と自分の生き方・人生の在り方のかかわりについて、考え方や価値観をはぐくむ
● これからの人生において、生涯を通じてそれぞれが自分の心身の健康管理に取り組めるようにする
心身の健康という大事な「資産」をどのようにつくり上げ、長期に渡ってどのように管理していくのか、生徒さんひとりひとりが、「自分の頭で考え、ひとりで取り組めるようになる」ところまで導くのが私たちの仕事。
運動療法を与える役割だけでもないし、ピラティスエクササイズ実践のスキルを上達させ身体を発展させるために指導しているわけではありません。
私は「教育者」として、生徒ひとりひとりを教え育てるために仕事をしています。
生徒ひとりひとりの成長と発達を促すために必要なもの
教わる教科が何であれ、算数や英語もスポーツも全てに共通すると思うのですが、生徒ひとりひとりが成長し、ひとりひとりの能力が開発されていくためには
「わかる」
という要素が重要です。
「わかる」ことができれば、「できる」ようになります。
できるようになったら、それは「楽しい」。
楽しくなったならば、生徒は放っておいてもひとりでどんどん取り組みますし、思わぬ能力を発揮し始めたり、飛躍的に伸びたりしていきます。
でも、わからなければ、そこで終わってしまって成長できなくなります。
じゃあ「わかる」ためには何が必要なのか?というと、
「観察すること」と「伝えること」
という要素に尽きます。
観察するとは、生徒ひとりひとりについて理解することです。
身体であれば、何が起きているのか、何故それが起きたのか、背景や経緯を推測すること。
生徒の性格や思考であれば、どのようにものを見て、どのように理解して、何が得意で何を苦手としているか、どこにつまずいているのか?など。
客観的に眺めるだけが観察ではなく、会話のやり取りを通じて生徒の思考や感情・価値観を理解するのも観察に含まれます。
観察したら、次は「どう伝えたらわかりやすいのか」を考えます。
生徒の性格や思考タイプに合わせて、端的に伝わるコミュニケーションのしかたを選び、できる限り最短距離で「なるほど、わかった!」と言わせられる方法を試行錯誤します。
段階ごとに分けて理解を積み上げて、着実に習熟度を高める手段についても考えます。
これらの全てが、「生徒の成長と発達を促す」ために必要なものです。
教育者の仕事とは
教師が教える教科に精通しているのは当たり前です。
でも、単に教科について一方的に教壇に立って喋るわけではなく、「それを教わった生徒が成長・発達し、自分の考え方や価値観を醸成して独り立ちできるようになる」ところまで導くのが、教育者である教師の仕事の本質です。
教育者としていい仕事がしたければ、専門教科について知識的な学びを続けていればよいわけではなく、「どう教えたら生徒が伸びるのか」という教育・心理的コミュニケーションの側面にも着目するべきだと思います。
ビジネス的な成功を目指す上でも、やはり生徒ひとりひとりが着実に伸びるように教えられていたならば、リピーターが増えて「結果を出せるインストラクターまたはスタジオ」として自然に成功するはず。
ピラティスについて・身体について・治療についてなどを学ぶ場はたくさんあるのですが、目を向けるべきなのはそこだけではありません。
インストラクターやトレーナーの仕事は生徒という人間を相手にしていて、人間を変化・成長させることを求められるわけですから、「人とのかかわり方」、つまり「より良い伝え方・教え方、コミュニケーションスキル」について学べる場がもっとあったらよいのに!と私は常々思っています。
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思うままに殴り書きで書いてしまったので、うまくまとまりませんが、今日はこの辺まで…
今更ながら、学校教師だった最愛の祖父母から「先生」の役割についてたくさん刷り込まれておいて良かったと思っています。
また、大学卒業後の進路として心理職を選ばなかったにもかかわらず、20年以上経って大学時代に学んでおいたことがこれほど役立っている!(自分がどこで知識を仕入れたのかすら記憶がなかったのに…)という驚くべき現実に、深く感謝している今日この頃でした。