2022年版: 今このときほど、「私の人生にピラティスがあって良かった」と思ったことはない
Nahokoです。
2020年に、今このときほど、「私の人生にピラティスがあって良かった」と思ったことはない というブログ記事を書きました。
2年が経ち、私はまもなく47歳の誕生日を迎えます。
そして最近も、やはり何かにつけて「自分の人生にピラティスがあって良かった」と毎日のように思っています。
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今年の2月にWEBサイトのデザインをリニューアルしまして、その際にインストラクタープロフィール も新しく書き換えました。
私のプロフィールは、「いかに運動が苦手だったか、体調不良でボロボロだったか」という話が中心なので、何人かのお客様から「知らなかったのでびっくりした」という感想をいただきました。
他にも、「若い頃から運動をバリバリしてきた人なのかと思っていた」「体が丈夫でいつも健康なんだろう、病気とは無縁なのだろうと思っていた」など。
私は運動を教える側ですし、長年ピラティスをしているおかげか「姿勢が良くてそこそこ鍛えていそうな人」っぽく見えるようで、そういうイメージになってしまうのかと思います。
しかし、自分でカミングアウトするのも何ですが、私は元々あまり丈夫な身体ではないので、いまだに病気や怪我と戦いながら生きています。
ましてやもうアラフィフですからとっくに更年期に突入しており、いろいろな症状に苦しめられている真っ最中で、治療なども始めています。
こんな身体の状態にもかかわらず、私が「いつも元気そうな人」と思ってもらえるような様子で生きていられるのは、人生にピラティスがあったおかげです。
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私の身体の症状や怪我の話ばかりしたいわけではないのですが、時々お客様から「Nahokoさんもいろいろ抱えていると知ったことで勇気づけられた」と言っていただくので、ブログでも引き続き書いていこうと思います。
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2年前の記事では、ぜんそく(咳ぜんそく)の話を書きました。
ステロイドの吸入などは今も継続していますが、副作用として時々「頻脈」が起こります。
何もしていないのに時々ドン!と脈が速くなり、Apple Watchで脈拍を図ると140とか160とかいう数字がざらに出てきます。
当然息苦しいし、慣れないうちは怖くてたまりませんでした。
その上マスク生活になっていつも息苦しい毎日になり、夏場はさらに熱気による息苦しさが精神的な圧迫感を強めます。
コロナ禍になってから夏の外出で息苦しさの発作が襲ってくるようになり、昨年の夏はとうとう駅のホームでパニックによる過呼吸症状を起こしてしまいました。
その後も、外を歩いて熱気を感じたとき、階段を上って少し心拍が上がったとき、人混みや地下のホームで閉塞感を感じたときなどに度々パニックを起こしました。
家族のサポートがないとひとりで外出できない・人に迷惑をかけているという情けなさ、今後どうしたらいいのかという不安などで、精神的にも落ち込みました。
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パニックに加えて、この1年ぐらいは様々なことが起こりました…
ゴルフ練習中に腰を傷め、今年に入ってそこから坐骨神経痛になり、仙腸関節痛が再び起こるようになり、頸椎にも波及して耳鳴りがするようになったり。
1月には最愛のひとり娘だった愛犬がある朝突然旅立ってしまい、喪失感で何事にも意欲が湧かず、仕事以外の時間をどう過ごしたらよいのかわからなくなったり。
身体も心もボロボロになると、ペットロスなのか更年期うつなのかわかりませんが、ふと「もう嫌だ」「何もかも全然ダメだ」「なんで生きてるんだろう」というネガティブな思考にとらわれて、一歩も動けなくなるときもあります。
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更年期症状のつらさ、ぜんそく、パニック発作、怪我の痛みや耳鳴り、娘の死による落ち込み、などなど…
今の私は本当にいろいろなものを抱えているのですが、幸いにも信頼できるクリニックや治療院の先生と出会って相談できるようになり、夫も全面的に協力し支えてくれるので、なんとか生きています。
そして、究極のところで自分の心を保てているのは、日々の中に「ピラティスで自分と向き合う時間」があるからなのだと思います。
動きに合わせて長く呼吸をすることで、落ち込む気持ちや焦る気持ちを減らし、自分の中に「落ち着ける場所」を再発見する。
痛みがあっても、安全で快適な動かし方を確認しながらひとつひとつ丁寧に身体を感じることで、身体を動かすことへの不安を解消する。
動かすことや伸ばすことは気持ち良さを与えてくれますし、血液やリンパの流れが改善すれば自然にリラックスすることもできます。
ああ、自分はちゃんと呼吸ができるし、身体を動かすこともできる。
自分は全然「ダメ」じゃないし、この身体はしっかり機能している。
今日は「今ここ」にあるし、明日も頑張れそうな気がする。
ピラティスをしているときはいつもそんなことを思い、エネルギーが少し戻ってくるのを感じています。
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娘を失ってからは、ピラティスを始めた途端に涙がどばーっと出てくることもあります。
そんなときは身体が「伸びることを拒んでいる」ような感覚もあるのですが、直感的に思うことは、おそらく今は「いつまでも悲しみを抱え込んでいたい自分」と「悲しみを手放したい自分」の間にいるからなのかもしれません。
心の回復プロセスの中にいるのだろうと思って、極力悲しみにとらわれすぎないよう、ピラティスを通して身体を定期的に解放するよう心掛けています。
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ピラティスを始めたときの私はまだ34歳で、そのときの私にとってのピラティスと、今の私にとってのピラティスは、存在や意味合いが変わってきているように感じます。
しかし変わらない思いは、
「やっぱり自分にはピラティスがあって良かった」
というひとことに尽きます。
ピラティスは、確かに身体は引き締まるし、姿勢は良くなるし、瞑想効果もあるし、運動療法にもなるし、多方面において優れた運動法であると思います。
私にとっては、どれかひとつだけの価値を持つものではありません。
人生の様々なステージにおいて、自分が日々生きていくために必要な力を与えてくれるもの、それがピラティスのようです。
更年期はまだ続きますし、娘との別れ以外にも悲しいことやつらいことは今後もきっとあるのだろうと思います。
世の中の不安もあれば、災害への不安もあります。
でも、「自分にはピラティスがある」ということだけは確かです。
どんなときにピラティスに支えられるのかわかりませんが、きっとまた2年後、5年後にはまた別な一面でピラティスの価値を発見しているのかもしれません。