「動き」を言葉で伝えるための工夫
Nahokoです。
元フィギュアスケート選手だった、町田樹さんのインタビュー記事を読みました。
「スポーツ解説には空虚な言葉が蔓延しているので…」元フィギュアスケーター町田樹(34)が明かした“スポーツ界への危機感”と“新たな挑戦”
“氷上の哲学者”とも呼ばれていた、現役時代の町田さん。
ちなみに町田さんといえば特に記憶に残っているのは「エデンの東」ですが、エキシビションの「Don’t Stop Me Now」も本当に楽しくて町田さんの表情や動きに魅了されてしまい、何年経っても動画で時々ふと見てしまうほど好きでした。
町田さんの演技はいつも、動きの中に「詩」のような言葉の世界が見えてくるような気がするのが特徴で、「この人がこの動きで伝えようとしているストーリーは何なのか?」と思いながら観ていました。
インタビューを読んで、動きを「言語」で表現することを考えていたというお話に「なるほど、そういうことだったのか!」と改めて納得。
そして現在「身体の言語化」を研究されている町田さんのお話は、「身体動作を言葉で教える仕事」をしている私にとって、非常に興味深いものでした。
動きを言葉に置き換えることは、簡単なようで難しい
ピラティスの指導を始めてから今に至るまで私がずっと考え続けているのは、「どうしたらわかりやすく伝えられるか?」というテーマです。
(最近興味深い書籍にも多々出会っているので、そのうちご紹介できたらと思います)
養成コース時代、通っていたスタジオでレッスンのオブザベーションをしていたころのこと。
時々、インストラクターが発する言葉になんだか現実味を感じなかったり、または空虚に響いている瞬間があるような気がして、
「その言葉の表現で伝わる相手は限られてしまうのではないか?」
「その言葉がわかるようになるための前段階はどこかにあるのだろうか」
と疑問に思っていました。
「レッスン指導には台本が用意されている」と知り、空虚な感じというのは単に台本に書いてあるセリフをしゃべっていたからなのであって、指導者の中にある言葉を目の前の特定の相手に向けて発しているわけではなかったからであると理解した私。
(その後、自分自身が実習で教え始めてすぐに「言葉を発する難しさ」に直面したので、確かに台本は欲しいわ!と思ってしまいましたが)
たとえば、ピラティスでよく出てくる「骨盤を後傾」とか、「背骨を1個1個動かす」といった動作があります。
骨盤を後傾という表現だけでは、「骨盤ってそもそもどこ?後傾って何?」という相手には伝わらず、その動きは実現しません。
また、背骨を1個1個動かすという表現は、「背骨って1本しかないんだからそもそも1個でしょ?」と思っている相手には全く通用しません。
つまり、「骨盤を後傾」「背骨を1個1個動かす」という言葉を発するだけで相手がその動きを実現するには、「あらかじめそれらについて知識を持っている」という前提が必要なわけです。
骨盤ってこれですよ、後傾ってこういう方向に動かすことですよ、というのを先に説明する。
背骨とは1本の長い骨ではなく椎骨っていう小さいパーツが連なっていて、なめらかに波打たせたりなんかもできるようなものなんですよ、という話を先にしておく。
そういう前提条件を共有できていて初めて、骨盤後傾、背骨の流動などといった動作をやってもらえるわけです。
と考えてみると、動きを言葉で教えるというのは簡単なようでいて実は相手と共有できる前提があってはじめて達成できるもので、「実現してほしい動きを、一発で伝わるような言葉に置き換えて伝えること」はとても難しいとわかります。
相手の「コンテクスト」に応じて伝わる言葉を探す
こういった前提条件とは、知識・経験などをはじめ、背景、前後関係、脈絡、状況、価値観や文化、などなどたくさんあります。
これらをまとめて「コンテクスト」と言いますね。
わかりやすい指導を実現するためには、相手の持つコンテクストに応じて「伝わる言葉」を探し、伝わるように組み立てて言葉を発するという工夫が必要になります。
第一歩としては、相手がどんなコンテクストを持っているのか、まずそれを知ること。
グループレッスンでは各参加者のコンテクストがわからないので、平均的・一般的な言葉を探さなくてはいけないし、正確に伝わらない相手がいることも当然承知の上で言葉を発しているという状況になります。
その状況は教えている側にもフラストレーションがあり、自分自身が満足できなくなってしまったため、レッスン形式をスタジオセッションという個別指導型に変えたわけです。
スタジオセッションになってからは、ひとりひとりのコンテクストをしっかりと知ることができるため、「この人にはこの表現で」「あの人には別の表現で」というように言葉を選んで動きを教えることができています。
たとえば、とても単純な事例をひとつ。
「マシンのストラップやバーなどを操作していて、手首が安定していない人」に気づいたとします。
こういうとき、「手首の安定のさせ方」をすぐに教えてしまうのもひとつの対処ですが、長い目で考えると手首のトレーニングの必要性を理解させることが大事。
本人が必要性・重要性を認識した上でトレーニングに繰り返し取り組み続けることが、動作の改善につながり、再現性をもたらし、結果として問題の根本的な解決につながります。
その人のコンテクストをできるだけ知っておいて、相手が専業主婦で家事全般を担っている人なら「中華鍋を持つときの手首」にたとえてみたり、相手がゴルフなどのスポーツにドハマりしている人なら「クラブを持っているときの手首」にたとえてみたりという工夫をします。
そうすると、「あー、なるほど!そのイメージですね!」と思ってもらいやすいですし、「そういえば料理していて・ゴルフのスイングで」といった手首の不安定が気になるシーンについて話を聞きだすことにもつながり、鍛える必要性がわかってもらえるのでトレーニングの継続が実現し、次の展開に進めていくことが可能になります。
他にも様々なケースがあって、職業や得意分野・価値観などに応じて変える場合もあります。
一例ですが、建築系の職業の人には人体の構造を建築物にたとえて伝えてみたり、ITやコンサル系の人なら話の持って行き方をシステマチックにするとか、経営者の人、アート系の人、舞台に立つ仕事の人、などなど…
また、身体感覚が鋭い人とそうでない人、言語感覚が鋭い人とそうでない人、といった違いもありますね。
身体のパーツを繊細に感じ取れるなら繊細に伝えても良いですが、自分の身体を漠然としか感じ取っていない人に対して細かい伝え方をしてもうまくいきません。
表面の皮膚レベルなのか、奥の内臓レベルなのか、力や深さの感覚はどこまで伝わるのか人によって異なります。
複雑な言語表現を使っても伝わらない相手には、できるだけシンプルな言葉で、端的な・単純な説明に徹する努力をしたりもします。
誰にでも伝わる魔法の言葉・伝え方というような汎用性の高いものは存在しないので、「相手のコンテクストにいかに合わせられるか」がわかりやすくまっすぐ伝えるための工夫ということになります。
私自身の経験に基づく言葉でなくてはならない
動きは人間が行うものなので、「感覚的な部分」を伝えることも必要です。
「腕は肩甲骨から動かして」というのはよく聞く表現ですが、肩甲骨って何ぞや?という相手には伝わらないし、そもそも肩甲骨から動かすというのがどんな感覚のことなのかがわからなければ、指導者が伝えたい動きのイメージにはなっていきません。
この場合、大事なのは私自身がその動きを実際に経験していて、感覚的によく知っているという点です。
肩甲骨は背中にあるので、背中のこの辺からこういう風に動かしていく感覚が「肩甲骨から動かす」ということですよ、という伝え方をしたならば、「あーこれがそうなのか!」と思ってもらうこともできます。
自分が経験したことのない動きは言葉に置き換えられないし、言葉に血が通っていないというか、空虚に響いてしまうような「教科書通りの」「通り一遍の」「ありきたりの」といった言葉にもなってしまうかもしれません。
こういう感覚ですよ、とか、こういう感覚が得られていれば正解だと思ってくださいね、と言えるように、私自身がいろいろな動きをやってみて自分の感覚を言葉に置き換える努力を日々積み重ねていなくてはなりません。
そのためには、ピラティスはもちろん、他のトレーニングやスポーツ・活動などの分野にも世界を拡げて、様々な経験をしておく必要もあります。
(とは言ってもここでは別な視点もあって、出産経験のない私には妊婦の身体のつらさや感覚が実体験としてわからないから教えられないかというと、決してそうではありません。ただ妊婦さんの身体感覚を想像できるようにするために知識を学び、情報を知っておき、「理解に基づいて言語化する」という努力をしています。)
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私が「動きを言葉に置き換える」工夫をあれこれと行っているのは、ただひとえに「相手に伝わる言葉で教えたいから」という理由になります。
大変な道だけれども、なぜ伝えたいのかといえば、動きを行うことで身体は変わるし、人生が変わるからです。
伝わったときのお互いの感動がそのまま人生の変化につながっていくからこそ、伝え方・言葉の選び方にはこだわりたい、と私は思っています。
話が長くなってしまったので、続きはまた改めて参考書籍とともにご紹介しますね!