2017年を振り返って
Nahokoです。
コラムもブログも、大変久々になってしまいました。
2017年ももう師走の19日。
今年の冬は寒さが厳しいようで、毎日が「この冬一番の寒さ」を更新しているのではないかと思ってしまいます。
スキー馬鹿の私たち夫婦、例年12月はまだお気に入りの白馬八方に雪がないことを嘆いているのですが、今年は早々とスキー場がOPENしているため、「早く休みになーれ!」とシーズン初すべりの日を心待ちにしている状態です。
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図らずも、私たちにとって2017年は激動の年になりました。
まずは4月に、数年前から企画していた新しいマシンの資格取得をスタート。
念願の「足・脚・下半身・歩行のトレーニング」をしっかり行えるだけでなく、ピラティスと組み合わせることで相乗効果も見込めるというもの。
こちらのカリキュラムが予想以上に充実していたため、4日間の講義終了後の6月以降は練習・勉強・実習に追われました。
レッスンの空き時間は購入したマシンでひたすら練習し、教科書を読み込み、休みになるとレッスンを受けに行き、学んだことを復習し、指導の実習に活かす、の繰り返し。
当初は1年後ぐらいを想定していた筆記・実技試験が9月末に決まったため、「あと3か月しかない!」という焦りも加わり、仕事以外の時間をすべて準備に費やすという緊張感漂う日々でした。
そんな中、8月末にはこれも年初から企画していた1週間のロンドン出張。
私たちが最初のピラティス指導者資格を取ったときの講師であるAmitさんのスタジオを訪ねる旅でした。
「ピラティスとは?指導の在り方とは?」という点で、私たちにとって最初に道を示してくれたAmitからの影響は計り知れず、年々自分たちの考えが深まってくる中で、一度原点回帰の機会を持ちたいと思ったのがきっかけです。
この旅ではたくさんの運命的出会いや気づきがあり、しばらく悩み続けていた自分たちの考えが整理され、一気に心を決めて新しいチャレンジに踏み出すことにしました。
それが、つい先日詳細を公開した『スタジオセッションシステムの導入』です。
これまでのレッスンシステムを大きく変えるため、1月からのスタートを目指すとなると、残りの4ヶ月で準備しなくてはならないことが膨大にありました。
出張中から打ち合わせをしまくり、「帰国したら早速あれこれ取り掛からねば!しかしその前に、資格試験があと4週間後に~~~!!」という発狂しそうな心境で帰国した、その翌日のことでした。
父が末期の膵臓がんで入院した、という母からの知らせ。
ロンドン出張前のお盆に田舎で集合し、一緒に温泉に行ったのがつい2週間前のできごと。
え?あのとき元気だったでしょ?末期がんってどういうこと?
時差ボケもあって現実がよく理解できず、それでも主治医の先生から今後の方針について家族にお話があるということで、3日後の休みに病院に向かいました。
病室の父は既にせん妄が始まっていて、会話はもう成り立たず、歩くこともままならず。
ショックに打ちのめされながら担当医の先生にお会いすると、発見されたときにはあちこち転移があり、もはや手術もできず治療も一切できないとのこと。
事前に内容は予想していたので驚きではなく、その場で納得して返事をしたはずでしたが、そのまま談話室に駆け込んで号泣しました。
なんだろう、ひどすぎる、あんまりだ、なぜ、どうしてこんなことに、ひどい、つらい、かわいそうすぎる。
大声で叫びたいぐらいでしたが、私よりもっとつらいであろう母が気丈に振舞っているのを見て、今はとにかく付き添いで泊まり込んでいる母が倒れないようにサポートしてやることを考えなくては、と思いました。
残り少ないであろう時間にできるだけたくさん父に会いたかったし、母のために手作りのお弁当を差し入れてやりたい。
だけど、自分には差し迫った試験があり、新しいレッスンシステムの準備があり、仕事のスケジュールも詰まっている。
9月中は、どんなに頑張っても週1回病院に行くのが精一杯でした。
仕事をしているときは笑顔でいられるのですが、ひとりになると感情が爆発して、何度も叫んだり泣いたり。
とにかく試験さえ終われば時間が作れるから、ここは絶対に再試験になるわけにはいかない、死ぬ気で一発合格するしかないと思って、ひたすら試験準備に打ち込みました。
夫が10月からのレッスン担当を調整してくれ、母のための食事を準備したり病院に差し入れに行ったりする時間を捻出できるようにシフトを組んでもらいました。
試験の結果は、その場で一発合格。
実技や指導のパフォーマンスについて予想外に絶賛していただいてしまい、ここまで頑張った甲斐があったと思いました。
そして、これでやっと病院に行く時間が作れる!という安堵の気持ちもありました。
さすがに気が抜けたようで体調を崩し気味だったので、試験直後の休みだけは休養しようと思ったところに母から連絡があり、父の状態が急激に悪化していて最後の段階に入ったようだとのこと。
あとはいつ急変してもおかしくないとのことで、連絡を受けた翌日10月3日に急遽会いに行ったのが最後になってしまいました。
翌朝の10月4日、父は旅立ちました。
諸々の事情が重なったのでそこからのプロセスが早く、亡くなった翌日に通夜、次の日に火葬と葬儀で、10月6日には全てが終わっていました。
10月7日の土曜日は、シフトを調整してもらって時間を作れるようになっていた、初めての週末。
でももう、何もすることがありませんでした。
待ち望んでいた時間はできたのに、やりたかったことはもう、やらなくてもよくなっていた。
その日の朝の心境は、なかなか表現が難しいです。
絶望、空虚、悲しさ、安堵、解放、ドン底、疲労、虚脱、喪失。
いろいろな感情が混ざっていたけれど、ひとつだけ直感的に危ないと思ったのは、「このままでは自分は鬱が再発する」ということでした。
20代のときに3年ぐらいうつ病で治療しましたが、当時の精神状態はよく覚えています。
感情の落ち込み方や、現実に起きていることに対する空虚な感覚、無力感に打ちのめされている感覚は、あのときと似ていると思いました。
怒涛の1か月、激しい感情を消化できずに押し込めて耐えてしまっていたのが原因だったのかもしれません。
それからしつこい風邪をひき、難聴が一時再発したり、何年振りかでひどいめまいにも悩まされたりと体調不良が重なって、しばらくは身体面が低空飛行でした。
治療・休養・感情の整理に努め、自分のための運動が再開できて、体調が落ち着いてきたかなと思えるようになったのがこの1週間ぐらいです。
こんな中でなんとか新レッスン「スタジオセッション」の情報も公開し、山積みだった準備作業が一段落して、精神的な余裕も少し戻ってきました。
コラムもブログもずっとお休みしていましたが、ようやく今年1年のことを文章にまとめる気持ちになれました。
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ピラティスを指導する立場として、私の役割は
「その人の人生が、より良くなるように」と考えること
だと思って、いつも仕事をしています。
父の最後の1か月、私が最も苦しかったのは、この「いざ」というときに、大切な家族のために、「より良くなるように」何ひとつサポートすることができない、という無力感でした。
いつもの仕事のときには当たり前のようにしていること、「元気になりますように・健康を取り戻しますように・回復しますように」と祈ることすらできない。
心の中で祈っているのは、痛みやつらさはできるだけ少なくしてやりたい、あまり長く苦しまなくてよいようにこの日々を終わらせてやりたい、ということ。
それは「早く逝ってほしい」と願っているような気がしてしまい、生きていてほしい大切な家族なのにと思うと自分の感情が混乱し、自分を許せないような気持ちにもなりました。
大切なひとをサポートできないのなら、今まで何のために学んできたのか。
自分の仕事は一体何に役立っているのか、運動を教える仕事なんて何の意味もない。
そう思うと、ただただ虚しくなりました。
でも、今は違います。
新しいレッスン「スタジオセッション」は、もっともっと、より一層「その人の人生がより良くなること」を後押しするためのもの、であるからこそ思い切って導入を決めました。
一番つらかったときに、なんでこういう大きな決断が重なったのかと思ったこともありました。
でも、この仕事をしていることをさりげなく応援してくれていた父、せん妄の中でも「新しいホームページ見たよ」と言い出した父のことを思うと、今このときでなくてはいけなかったのかなとも感じています。
「ホームページは新しいレッスンのために今ちょうど変えようと思っているところだけど、まだ準備中なんだよ」と話していたのですが、父にはもう先のこと、自分が旅立った後のことが見えていたのかも?しれません。
家族のためにできなかったことは、これから目の前のクライアントさんのためにやらせていただこう、と思っています。
レッスンシステムや料金体系などなどが短期間に変わるため、お客様の中には混乱される方もいらっしゃるかと思いますし、私たち自身もまだまだ至らない点や不手際などがあるかもしれません。
ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、新レッスン導入後もこれまで同様に全力でピラティスの指導に取り組み、「より良い人生」のための健康づくりをサポートさせていただきたいと思っています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
Nahoko